悪い顔を人に見せぬようにして家を治めよとは、今日はマイナスの日といった時で      も、プラスの時以上に神愛を悟らしてもらい有りがたいと受けていく事。


昭和五十四年二月十八日 朝の御理解


御理解 第八十八節 「昔から、親が鏡を持たして嫁入りをさせるのは、顔をきれいにするばかりではない。心につらい悲しいと思う時、鏡を立て、悪い顔を人に見せぬようにして家を治めよということである」

 この御理解を頂く時、皆さんが一番すぐ感じられる事は、この御理解が徹底して頂ければ、もう広がりに広がるというおかげが約束されると言う事ですね。八十八節ですから。 私はそう感じるんです。同時にそれこそ、ここで皆が申します「黙って治める」と言う事は、この八十八節から頂いた御理解ですよね。
 サンズイ扁に台とかいてある。サンズイという事は自然、自然の働きそのものを、無口黙って受けて治める という生き方に徹底するという事。もうこれは絶対広がりに広がっていく日勝り、月勝り、年勝りのおかげが頂けるだけではない、この生き方で行けば必ず代勝りのおかげにもなっていく事でしょう。それこそ 貧・争・病 のない、それこそ
真・善・美 に輝くようなおかげが約束されるのです。だからこれに本気で徹しようと、そこの一心発起が大事なのです。
 昨日は 合楽会でございましたが皆さんの発表、本当にもう素晴らしい発表をされました。中にそこの久保山さんの発表がありましたが、毎日日参をされて、昨日も長男と三番目の息子が、実はお母さんこんな会社で困った難儀な問題があるんだけれども、僕の立場としてこれはどんなにしたがいいだろうかと言うて相談をしてくれました、と言う。三番目のもやはり自分の仕事の事で、これはお母さんどげんがいいじゃろうかと言うて、それから嫁が、最近見えられた嫁さんですけども、何でも例えば家事のことではなくてですよ、家事のことはやっぱり姑親に尋ねるといったようなのはありましょうけども、自分の悩みをお母さんに打ち明けてその相談をしてくれる、もう私は嫁やら息子やら相談を受けるということは、この頃からはもう主人も私にいろいろと相談をしてくれると。それは言うならば最近それを感じられる。以前からじゃない、信心させて頂くようになって段々そういうように、うちのお母さんにだん相談しよるならまた弱点をつかまれてまたこなされると、嫁御が思うごたるお母さんではいかんと言う事ですよ。だからいかにその親としてですよね、言うならばもうとにかくお母さんに相談すりゃ必ず金光様にお願いしてくれるとこう思うとるわけ。または右、左の時には必ず親先生にお伺いをして返事をしてくれると思っておるという事は、お母さんの信心を言うならば信用しておるからだという事になりましょう。誰かに相談したいばってん、うちのお母さんだん相談しよると、またこげな弱点なお母さんに見せちゃならんと言うような嫁やらがありはせんじゃろか。これは嫁さんじゃない、だから姑親がそれをね「はあ 自分に相談も出来ない内容が自分にはあるんだ」ともう知るべきです。なら今日の御理解でね、人に悪い顔を見せぬようにということは、心がいつも和らかでなからなければできんという事でしよう。只こげな顔ば人に見せちゃ出けんと言って、腹の中ではグーグーこらえながら、そのニコニコしていると言うのではないのですよ。だからたまには厳しい顔をしとるようなこともありますでしょう。そういう時にはかえってですね、何かジーンとこう教えられるようなものが与えられる位な生き方、内容が有難いもの、内容が有難いものになって来なければ。
 昨日 久保山さんが話されるそれを聞きながら、「久保山さん素晴らしかですの」と言うて話した事でした。
 子供が親に相談をしてくれる。嫁が親に相談をしてくれる。しかもそげな事はよそん者にだん、主人にでん言うなら話されないような事をお母さん実はこうこうだがと言うて相談をする。私はそれは結局、親に対する信用だという事と同時に、神様にお願いしてもらえる、神様からお伺いしてもろうて、返事をしてもらえるといったようなものがあるからだと思うのですが、皆さんの場合はどうでしょうか。

 昨日は 伊万里の竹内先生のところの霊祭が、お父さんの三十年という式年祭がもう御親戚も全部集まって、ここで私が斎主さしてもろうて有難いお祭りができました。
 御神前でその事をお願いさして頂いておりましたら、神様から5+5 と頂いた。5+5 とこういう事です。答えが書いちゃいない。勿論 これは答えを正確に出すならば、10という事になる。5と5 という事は仏教的に業というのは、お道で言うならめぐりといったような、意味は違いましょうけれどそんなもんですね。だから例えば、めぐりの深い者同士が一緒になっておってです、それが10になる。10と言う事は十全という事ね。全うするという事。そういうおかげだろうと、私は思わせて頂いたんですれども、その 5+5= と言うその「は」をこう二つ(=)になっているでしょう。それを(一)になった(ひとつになった)重ねたところを頂いた。そうするとマイナスという事になりましょう。「は」という字を一つに合わせたらマイナス 「引く」という事になる。そしてこんどは二つを(+)という字になるでしょう。こうすれば引くでしょう。こうすれば+でょう。こうすると×の字になるでしょう。(指を広げたり重ねたりしながら説明される)皆さんどういう事と思うですか。

 信心させて頂いとって、例えば商売人で言うならば儲かるという事ばっかりじゃありません、損する事もある。そげな時はマイナスですね。プラスになるという事は自分の願いが成就した時でしょう。プラスになっていくおかげがね、それこそ信心しよってそげな事でよいかと言われるような時には×の字だろうとこう思うですね。
 今日一日 心行に取り組ませて頂く、家業に本気で取り組ませて頂く、そして一日を締めくくって頂いた時に、あ々心行も出来てなかった、家業の行も出来てなかったという時にはペケでしょうもん。自分の有難い時には○をつけていく、できなかった時には×の字をつけていくというような事を申しますでしょう、そういうような例えば今日は×の字、今日はマイナスといったような時であってもプラスの時以上に、神愛、神願を悟らしてもろうて、有難いと受けていくという事。
 昨日 これも合楽の田中さんの発表でしたけれども、もう昨日は年寄りを大切にせよ、という事であった。あちらにおばあちゃんが義理の仲ですけれども、後寄りに見えとります。おばあちゃんが、ですからもう年寄りのおばあちゃんがおられます。だから今日はもう本当に、心からおばあちゃんを大事にしようと思って、言うならば昨日の御理解に取り組んだと言うのです。そしたら急に自分の心の中に、もと ここの合楽におられた野口さんの事を思い出した。今はどこか旗崎からずーっと田舎の方へ入ったところにおられます。
 しかも何かこの信心のお話でもさせて頂きたいような気がして、今日は一寸野口さん方に行こうと言うたら、嫁がこげん寒か時(昨日は春一番が吹き荒れて雪降りの天候)にお出なさらんでんと言うたけれども、いや何かしらん行きたいから一寸やらして頂こうと言うて表まで出らせて頂いた。そしたら妹の娘の方がこの頃浮羽郡の方へ嫁行っとります。その娘さんが、もと野口さんのおられた家に一寸仮にあそこ借りております。道まで出らせて頂いたら、その娘達が自動車でどこかへ出かけよるところだった。お母さんは久留米に行く、なら僕たちもそちらに行くからと言うて、まあ野口さんところまで送ってくれたと言うのです。そしたらもう向こうで、喜んで喜んでそれこそ数時間の信心話を一生懸命させて頂いて、もう合楽の信心の有難い事を一生懸命話させて頂いたと言う発表をなさいました。不思議なんです。教えに本気で取り組むとです、有難い事が心に浮かんでくるのです。とてもこれからあそこまでもバス賃使うてですかね、別にどうと用事もないのに行って信心の話でもさせて頂こうかと言ったような心が浮かばんです。自分の心に神様が浮かばしてござる、思わしてござるとしか思われない。もう本当にこの嫁さんは、それこそ創価学会のもう大変熱心な人でしたけれどもお母さんの信心で今ここの梅の実会で熱心に信心の稽古をしておりなす。ですからもう金光教の信心の、いや合楽の信心の有難い事を二人で一生懸命話して帰らせて頂いたとこう言う。

 だから教えに本気で取り組むと、今まで辛いと思うておった事が辛くなくなる。思いもかけない有難いことが次から次と心に浮かんでくる。それを実行に表わして行ったら必ずそこに実証がうまれてくる。 実験 そして 実証。
 おかげの実証をして行って初めて有難いという事になる。そういう有難い時であるならばそれがマイナスの時であろうとね、×の字の時であろうと、それが神願として有難く受ける事が出来る。言うならばそこに 5と5 と足せば10だけども、5と5 と掛ければ 5×5=25 というような夢にも思わないような答えが出てくるわけね。
 私は今日は ここんところだけを聞いて頂きたいのですね。人に悪い顔を見せぬようにということ。だから人に悪い顔を見せるじゃなくて、悪い顔を見せんですむ心の状態をいつも整えておかねばならない。言うならいつもプラスばっかりの事ではない。マイナスのときもあれば×の字の時もあるけれどもね、心の状態が有難いという事にならせて頂いたらね、それこそ久保山さんじゃないけれども嫁御から頼られる、息子達から相談が受けられる、親も安心なら子供も喜びである。お母さんの答えなら間違いがないと信じておる。そういう言うならあり方をいよいよ身につけて行かねばならない。

 昨日 霊祭を終わってからあちらへお礼に出て見えてからですもん、私は今日の御理解を頂きよってから、もうびくっとしましたと言うてその竹内先生が言われるんですよ、と言うのは昨日東京へ行っておられてから、ここの孫であります泰子にお土産を買ってきた、萬華鏡を買って来てあげたと。何かいろんなものが映る鏡でしょうもん。そしたらそれには一番初めにプラス、マイナス、掛けが先に出てくるんだそうです。「いやぁ先生、あれば見ちゃったっちゃろうか」と思う位にびっくりしましたという事でございました。

 萬華鏡、自分の言うならば心の鏡なんです。自分の心の鏡に映る言うならばいろんな様相、難儀な問題というのは、もうそれは自分の心の姿がそのまま映ってるんですね。だからどうしてじゃないです。こちらの方を改める事になればです、心一つですべてを創っていく事になり、又は 心一つで せっかくのおかげをこわして、心一つですべてをこわすという事にもなるのですからね。
 いよいよもって悪い顔をみせんですむような心の状態をです、信心によって頂かせて頂きたいと思うですね。

                              「どうぞ」